旧魁陽亭とは
旧魁陽亭は、現在地に建てられた明治初期以来、「魁陽亭」「開陽亭」「海陽亭」と3度名前を変えつつ、平成27(2015)年の閉店まで150年近くにわたって北海道を代表する老舗料亭として営業を続けてきました。
当初、商港として発展しつつあった小樽を訪れた北前船主をはじめとする船乗りたちに親しまれた料亭であったことから、平成30(2018)年5月には「北前船」日本遺産の構成文化財に認定されています。榎本武揚、伊藤博文ら著名な政治家、日露戦後、小樽で開催された「樺太境界画定委員会議」後の祝宴、俳優の三船敏郎、石原裕次郎、作家の山口瞳らが度々訪れていたことなど、国内外の著名人たちをはじめ、ゆかりの人物に関するエピソードや資料が無数に残っています。
旧魁陽亭の建物
明治29(1896)年4月27日に発生した住ノ江大火で類焼した際に再建されたと推定されています。木造2階建て、一部3階建ての建物は、明治期の「大広間」の棟、大正期の「中広間」の棟、和室の棟の3つの大きなブロックで構成されています。大正7(1918)年に開催された開道50周年記念博覧会の際をはじめ、度々増築されています。
明治期の棟の2階大広間「明石」は、138畳敷で、150人以上の大宴会が開催可能な広さを持っています。同じく2階の「松風」は、大正4(1915)年に増築されたもので、70畳の中広間となっています。ともにキングポストトラス工法が用いられており、いち早く和風建築に洋風の工法を採用していることが特徴となっています。昭和60(1985)年には、小樽市指定歴史的建造物の第2号に指定されました。
建物正面。
大広間「明石」。明治29年の住ノ江大火後に再建。天井、間仕切り、床の間に改修の跡が見られるが他は建築当時の状態。天井は「平格天井」、床柱は黒檀。建築時は中央にあった。
「明石」の舞台の幕。丸井今井が寄贈したもの。
中広間「松風」。大正4年に増築。70畳。床柱には棕櫚の木が使用。
「松風」のガス灯のシャンデリア。工芸品としても貴重。
1階ホール。当初、70畳の和室だったが、戦後、進駐軍のクラブに使用するため洋風に改修。現在、改装中。
「明石」の回廊のガラス。舶来品の「七色に光るギヤマン」と伝わる。
白塗りの蔵。内部には器物類が収納。
所在地
現在、内部見学は行なっておりません。