これまでの調査で確認できた旧魁陽亭に関する資料(書籍、雑誌記事、新聞記事など)一覧です。「魁陽亭」「開陽亭」「海陽亭」それぞれの時代の情報の他、ゆかりの人物についての情報等も含まれています。文字色が異なるものは電子版をダウンロードできます。
◎関連資料一覧(2020年5月8日更新) 登録数:328件、デジタルデータ:6件
・「「魁陽亭」の歴史 ネット発信 樽商大」『北海道新聞』小樽後志、2020年4月14日。
・高野宏康「旧魁陽亭と小樽 〜老舗料亭の歴史の発掘と活用に向けて〜」『月刊おたる』通巻661号、株式会社月刊おたる、2019年7月号。
・高野宏康「旧魁陽亭 〜北前船主や船乗りたちに親しまれた、北海道を代表する料亭〜」『小樽チャンネルMagazine』Vol.39、株式会社K2、2019年2月号。
・「魁陽亭の宝 時代へ 小樽の旧料亭 樽商大など調査 観光資源に」『北海道新聞』夕刊、全道、2019年2月2日。
・「旧料亭「魁陽亭」お宝続々 樽商大など調査 観光資源化へ」『北海道新聞』小樽後志、2018年12月11日。
・「小樽の歴史的建造物 旧料亭「魁陽亭」再生へ」『北海道新聞』小樽後志、2018年11月15日。
・駒木定正「北炭の書庫から発見した「魁陽亭」の写真(小樽の歴史的建造物 No.74)」『月刊小樽學』通巻105号、歴史文化研究所、2017年12月号。
・駒木定正「伊藤博文が宿泊した開陽亭の図面を検証(小樽の歴史的建造物 No.73)」『月刊小樽學』通巻第104号、歴史文化研究所、2017年11月号。
・駒木定正「道建築士会支部の調査報告書『おたる海陽亭』(小樽の歴史的建造物 No.72)」『月刊小樽學』通巻第103号、歴史文化研究所、2017年10月号。
・「石原裕次郎と海陽亭(えぞふじ:藤森五月)」『北海道新聞』小樽後志、2017年9月7日。
・「海陽亭でビアパーティー」『北海道新聞』小樽後志、2015年6月27日。
・「26日に納涼ビアパーティー」『北海道新聞』小樽後志、2014年7月12日。※会場は海陽亭
・「海陽亭と裕次郎」『小樽 昭和ノスタルジー』株式会社ぶらんとマガジン社、2013年9月。
・「北前船の浪漫 目で舌で 小樽・札幌の市民 番屋などバスツアー」『北海道新聞』夕刊、地方、2012年9月26日。※海陽亭を訪問、関連記事(9月9日)あり
・「おたる海陽亭」『HO』Vol.56、2012年7月号。
・「料亭 介護事業で再出発 海陽亭札幌店」『北海道新聞』全道、2012年4月11日。
・「歴代の智明寮生 小樽に140人集結」『北海道新聞』小樽後志、2011年7月12日。※会場は海陽亭
・「花街の栄華知る生き証人 小樽の芸者 喜久姐さん」『北海道新聞』地方、2011年2月23日。※海陽亭の記述あり
・「小樽唯一の芸者 喜久姐さん お座敷遊び忘れないで 「とらとら」「ぎっちょんちょん」伝授』『北海道新聞』地方、2010年6月26日。※海陽亭の記述あり
・「小樽育ちの洋画家・長谷川昇」『北海道新聞』小樽後志、2010年4月24日。※魁陽亭経営者の長谷川勝平の孫
・「海陽亭 商都の宴が聴こえる(蜂谷涼と歩く和つづれ織り④)」『北海道新聞』小樽後志、2009年10月30日。
・「青年はパリを目指した 小樽美術館30年展から(上)」『北海道新聞』小樽後志、2009年5月21日。※魁陽亭経営者の長谷川勝平の孫・長谷川昇について
・「糸八(1868-1944年)芸に秀で豪気さ愛された名妓」『北海道新聞』地方、2008年7月18日。※海陽亭の記述あり
・「犬上慶五郞 大正期に現れた成り金」『北海道新聞』地方、2008年7月13日。※開陽亭の記述あり
・「藤原銀次郎(1869-1960年)「製紙王」 小樽で手腕発揮」『北海道新聞』地方、2008年2月11日。※海陽亭の記述あり
・「おたる海陽亭 石原親子2代が宴席を張った北海道の歴史を映す名料亭」『サライ』Vol.19、No.16、2007年8月16日。
・「運河論争20年 あのとき私は(4)西武グループ進出」『北海道新聞』地方、2006年12月8日。※海陽亭の記述あり
・吉田幸子『花はくれない 柳はみどり』尾形有司発行、2006年12月。※海陽亭の記述あり
・「おはよう経済 お仕事拝見 松月堂」『北海道新聞』地方、2006年11月14日。※海陽亭の記述あり
・「おたる海陽亭のシニアマネージャー(佐々木ツヤさん)」『北海道新聞』夕刊、全道、2006年6月5日。
・「小樽の料亭「海陽亭」が営業開始!」『小樽ジャーナル』2006年4月28日。
・「おたる海陽亭 首相時代の原が演説もした潮の香りがする北の名亭」『サライ』Vol.16、2005年8月18日。
・「ドラマ撮影の彩り大広間に 海陽亭も観光本番」『北海道新聞』地方、2004年4月18日。
・「裕次郎描いたドラマ「弟」小樽ロケ 第二の古里で渡、高島ら熱演」『北海道新聞』夕刊、全道、2004年2月23日。※海陽亭の記述あり
・「市民も熱演 昭和の小樽 民放ドラマ「弟」市内で撮影」『北海道新聞』地方、2004年2月23日。※海陽亭の記述あり
・「日露開戦から きょう100年 小樽に今なお痕跡」『北海道新聞』地方、2004年2月10日。※海陽亭の記述あり
・「海陽亭で明治の雰囲気(まちかど212)」『朝日新聞』道内、2003年7月28日。
・中渡憲彦「海陽亭(旧魁陽亭)」『北海道の近代和風建築 —近代和風建築総合調査報告書—』北海道教育委員会、2007年3月。
・「女将が振り返る海陽亭の歴史 宮松さんが一冊に」『北海道新聞』地方、2003年4月3日。
・宮松芳子『三代目女将が語る海陽亭』海陽亭小樽本店、2003年3月。
・「あす小樽で天元戦 第2局」『北海道新聞』2002年11月22日。※囲碁の天元戦(羽根直樹天元と趙善津九段の対局)の会場
・「石原慎太郎の幼少期 小樽取材記 佐野眞一」『北海道新聞』夕刊、全道、2002年10月17日。※海陽亭の記述あり
・中一夫「海陽亭」『語り継がれる町おたる』第11号、どうしん小樽販売所会(三日会)、2002年4月。
・「石原慎太郎さんの心の原点を探る旅(人間・石原慎太郎の解剖(下))」『財界』財界研究所、2002年3月26日。*海陽亭の記述あり
・「小樽・老舗料亭「海陽亭」 有名人気分で食事を」『北海道新聞』地方、2002年3月15日。
・大石章「海陽亭 目の利く客たち」『小樽 街並み今・昔』北海道新聞社、2002年3月
・「小樽の老舗料亭 海陽亭 床下から「進駐軍のコカ・コーラ」」『北海道新聞』夕刊、全道、2001年8月18日。
・中一夫「小樽の観光に一役 老舗料亭「海陽亭」が一般客を受け入れ」『ねっとわーく小樽』第269号、どうしん小樽販売所会(三日会)、2001年6月15日。
・「海陽亭舞台に念願の披露宴 一般開放後初めて」『北海道新聞』地方、2001年5月28日。
・「ひと2001 宮松芳子さん 観光客の受け入れを始めたしにせ料亭「海陽亭小樽本店」女将」『北海道新聞』全道、2001年5月15日。
・「しにせ料亭の見学ドキドキ 海陽亭に一般客」『北海道新聞』小樽後志、2001年4月29日。
・「歴史刻んだ大広間”復活” 小樽「海陽亭」改修」『北海道新聞』夕刊、全道、2001年4月24日。
・「小樽「海陽亭」ツアー客受け入れ 老舗の味 攻めて守る」『讀賣新聞』2001年4月1日。
・「料亭 格式と伝統 低価格化で客誘致(あの業界・この話題6)」『北海道新聞』全道、2001年3月6日。
・「海陽亭の英断にさみしさも」『北海道新聞』夕刊、地方、2001年2月10日。
・「ツアー客も受け入れ 道内屈指 小樽の料亭「海陽亭」」『北海道新聞』全道、2001年2月9日。
・石原良純『石原家の人々』新潮社、2001年2月10日。※海陽亭の記述あり(168〜172頁)
・「「宝物」のノートに感心」『北海道新聞』地方、2001年1月26日。※海陽亭を舞台にした小説「煌浪の岸」(蜂谷涼)について
・「藤原銀次郎(2の2) 道産材や石炭活用」『北海道新聞』全道、2000年10月22日。※海陽亭の記述あり
・「藤原銀次郎(2の1) かごに乗った製紙王(北へ・異色人物伝)」『北海道新聞』全道、2000年10月22日。※海陽亭の記述あり
・「岡田嘉子(2の1)謎残す「恋の逃避行」」『北海道新聞』全道、2000年9月17日。※海陽亭の記述あり
・「ここに生きて 尾形京子さん 函館の女」『北海道新聞』夕刊、地方、1998年12月18日。※海陽亭の記述あり
・「家元招き発足祝う せん茶道方円流小樽支部」『北海道新聞』道央、1998年6月14日。※会場は海陽亭
・「海陽亭 裕次郎が愛した港見える三日月の間(小樽の粋な夜(2の1)老舗で楽しむ)」『北海道新聞』夕刊、道央、1998年4月28日。
・「大正期の港町の活力 フリーライター蜂谷さん小説出版 「煌浪の岸」」『北海道新聞』道央、1998年3月31日。※海陽亭をモデルにした小説
・「小樽でポエム塾 詩人の荒川さん講演(荒川洋治)」『北海道新聞』道央、1997年6月22日。※会場は海陽亭
・「料亭 海陽亭 石原慎太郎『弟』 小樽の盛衰見続ける(しりべし文学の風景14)」『北海道新聞』道央、1996年8月20日。
・「海陽亭とぎやまん(全20回)」『讀賣新聞』北海道、1996年7月13日〜11月23日。
・「10周年迎えた余市豆本の会 第3集の出版始める 第1弾は「私の海陽亭」小樽の黄金時代を語り継ぐ」『北海道新聞』道央、1995年11月18日。
・棚田誠哉『私の海陽亭』余市豆本第3集1号、余市豆本の会、1995年10月。
・「小樽の栄華を再現する「北一の宴」(北一硝子主催)が十一日夜、市内の老舗料亭「海陽亭」で開かれ」『北海道新聞』、1993年12月12日。※関連記事あり(12月7日)
・「小樽・裕次郎ツアー 同行ルポ」『北海道新聞』道央、1993年11月25日。※海陽亭の記述あり
・「小樽経済の動脈詳述 大正〜終戦記の企業調査書発見 小樽」『北海道新聞』夕刊、1993年5月26日。※海陽亭の記述あり
・「海陽亭はハイカラだった ガス灯配管 天井裏に」『朝日新聞』夕刊、1993年2月13日。
・「本道最古の料亭 海陽亭調査報告書 文化価値を実証」『北海道新聞』地方版、1993年2月5日。
・「私のなかの歴史 海陽亭女主人の宮松芳子さん(全8回)」『北海道新聞』夕刊、1992年8月11日〜15日、17日〜19日。
・「略歴 宮松芳子さん 海陽亭女主人」『北海道新聞』夕刊、1992年8月11日。
・佐藤泰典編著『流芳後世 おたる海陽亭』北海道建築士会小樽支部、1992年4月。
・「『小樽冬景色』への旅(全4回)」『帝国タイムス』帝国データバンク、1991年2月25日、3月15日、3月25日、4月5日。※海陽亭に関する記事
・窪田吉雄、渡辺鶴三、長坂富蔵『明治大正小樽宵花史 小樽花街ものがたり』小樽古蹟研究会、1986年。※海陽亭の記述あり(22〜26頁)
・「札幌「海陽亭」宮松よし子さん」『Dame』No.17、株式会社主婦の友社、1985年11月号。
・「雲丹鍋(サッポロ海陽亭銀座店)」『週刊宝石』光文社、1984年11月9日。
・「「鉄矢のにっぽん人国記」北海道版ロケ」『日刊スポーツ』北海道日刊スポーツ新聞社、1983年2月15日。※海陽亭で宮松芳子他と鼎談
・「石原裕次郎が心の故郷・北海道小樽へ里帰り」『週刊明星』No.46、集英社、1982年11月11日。※海陽亭訪問の記述あり
・「海陽亭 リンと明治の格式(おたる観光手帳㉔)」『北海道新聞』1981年7月8日。
・「ミセス新風土記六月・札幌」『ミセス』文化出版局、1981年6月号。※サッポロ海陽亭の記述あり
・「一流料亭海陽亭マダムが語る岩沢靖氏のもう一つの顔」『アサヒ芸能SPECIAL THE POLICEマガジン』徳間書店、1981年5月号。
・「ウニ寄せがおいしい 海陽亭(北海道料理)(美女が訪ねる日本の味・世界の味193)」『週刊文春』文藝春秋社、1981年4月30日。
・「料亭の経営者 海陽亭社長 宮松重雄さん(札樽新時代80年代を考える・第二部 私と小樽)」『北海道新聞』1981年1月29日。
・「石狩鍋 海陽亭」『婦人画報』株式会社ハースト婦人画報社、1980年2月号。
・「石原裕次郎さん「海陽亭」へ おばあちゃんまた来たよ」『北海道新聞』1979年11月8日。
・「しめやかに海陽亭・宮松幸代さん葬儀 著名人から弔電続々」『北海道新聞』夕刊、1979年11月2日。
・「海陽亭の女主人 宮松さん死去」『北海道新聞』地方版、1979年11月1日。
・「海陽亭(北海なべ)」『ミセス』文化出版局、1976年3月号。
・「北海濤魚(調理:サッポロ海陽亭)」『ミセス』文化出版局、1975年2月号。
・「海陽亭と女将(港のバラード小樽⑨)」『朝日新聞』1973年12月20日。
・「岡田嘉子さん、小樽入り」『北海道新聞』1973年4月27日。※海陽亭訪問の記述あり。
・田辺順『旗亭・海陽亭(タイムマシンおたる)』田辺順、1973年3月。
・「小樽オリエンテーリング 第2部 勝納川かいわい⑺ 海陽亭」『北海道新聞』
・宮松芳子「”北海”の味わいはサッポロ”海陽亭”で」『日経ジャーナル』日本経済通信社、1971年7月号。
・「さっぽろ海陽亭 八日盛大に開店」『北海道飲料新聞』1967年8月10日。
・宮松重雄「オヤッ大鵬の赤ん坊?」『週刊文春』文藝春秋社、1962年10月15日。※海陽亭経営者
・「裕次郎 ”小樽の休日”」『北海道新聞』夕刊、1959年8月20日。※海陽亭に滞在の記述あり
・「海陽亭 開拓初期、唯一の料亭(文化財を訪ねて⑦)」『北海道新聞』1956年11月13日。
・「海陽亭女将 宮松幸代さん 当世まれに見る女丈夫(人物天眼鏡)」『北海タイムス』夕刊、1951年6月(日付不明)
・『北海道花柳写真会 第一巻 料理飲食業組合大会 記念帖』、神橋文男著、発行:菱田録彌、1943年8月。※海陽亭の記述あり
・『小樽花柳社 志らべ』中島親三、1937年7月。※開陽亭の記述あり
・「恋の復讐・宮松テル」『北海タイムス』1933年9月29日。
・「海陽亭の宴」『北海タイムス』1932年7月15日。
・「北大関係出身者を以て組織されてる小樽市の北大小樽会では来る九日午後五時から海陽亭において懇親会を開催」『小樽新聞』1932年1月8日。※会場は海陽亭
・「小樽市連合衛生組合の新年懇親会」『小樽新聞』1932年1月7日。※会場は海陽亭
・「開陽亭の復活」『北海タイムス』1931年12月30日。
・「開陽亭没落を免かる 会社組織で復活」『北海タイムス』1931年12月5日。
・「小樽開陽亭廃業す」『北海タイムス』1931年11月26日。
・「割烹店の文化の跡(小樽の今昔七)『北海タイムス』1927年4月21日。※開陽亭の記述あり
・「小樽開陽亭踊り子の悩み(男の顔、女の顔(四)」『北海タイムス』1927年3月18日。
・「奥谷氏の招宴(小樽新聞社外交部長奥谷甚吉)」『北海タイムス』1927年2月19日。※会場は開陽亭
・「開陽亭」『北海タイムス』1927年1月1日。※広告
・「小樽花柳界では新年宴会が激増 その実安会計りで各料理店は大こぼし」『北海タイムス』1926年1月24日。※開陽亭の記述あり
・「北海水力設宴」『北海タイムス』1926年12月9日。※会場は開陽亭
・『北海道及花街』、渡辺一英著、発行、1925年7月。※開陽亭の記述あり(108頁)
・「開陽亭の宮松こう子 悲風惨雨を切り抜けて 今は小樽の女将 押しも押されもせぬ」『北海タイムス』1925年1月10日。
・「仏国の将校招宴 ゲイシヤのダンスに興深し 艦長エベヤール氏の抜目のない挨拶振ぶり」『北海タイムス』1923年6月29日。※会場は開陽亭
・「麦酒会社設宴」『北海タイムス』で国境。1923年1月11日。※会場は開陽亭
・「麦酒小樽設宴」『北海タイムス』1923年1月5日。※会場は開陽亭
・「不景気に消える赤い灯の家 廃業続出する小樽の料理店 開陽亭も今月は休業」『小樽新聞』1931年11月27日。
・「久邇宮殿下 小樽御献立 御朝食と御昼食」『北海タイムス』1923年7月10日。※会場は開陽亭
・「山城屋呉服店陳列会」『北海タイムス』1922年9月23日。※会場は開陽亭
・「広岡氏小樽訪問(政友会顧問広岡宇一郎)」『北海タイムス』1922年8月27日。※会場は開陽亭
・「樽商会頭設宴」『北海タイムス』1922年1月14日。※会場は開陽亭
・「小樽新潟県人会」『北海タイムス』1922年1月12日。※会場は開陽亭
・「麦酒会社招宴」『北海タイムス』1922年1月11日。※会場は開陽亭
・「森会頭設宴(小樽商工会議所会頭)」『北海タイムス』1922年1月10日。※会場は開陽亭
・「麦酒新年宴会」『北海タイムス』1922年1月7日。※会場は開陽亭
・「首相築港視察」『讀賣新聞』1921年8月12日。※開陽亭で原敬の官民有志の歓迎会開催
・「首相小樽出発」『讀賣新聞』1921年8月11日。※開陽亭で原敬の招待会開催。
・「倉庫組合総会」『北海タイムス』1921年1月13日。※会場は開陽亭
・「麦酒小樽招宴」『北海タイムス』1921年1月11日。※開陽亭の記述あり
・「七草迄の小樽花柳界の景気」『北海タイムス』1921年1月8日。※開陽亭の記述あり
・「札樽銀行新年宴」『北海タイムス』1921年1月8日。※会場は開陽亭
・「新潟青年」『北海タイムス』1921年1月3日。※会場は開陽亭
・「謹賀新年 料理店開陽亭」『北海タイムス』1921年1月1日。
・「旅館も兼業で 開陽亭 株式会社に変らん」『北海タイムス』1920年2月23日。
・「山下鉱業披露」『北海タイムス』1920年1月27日。※会場は開陽亭
・「公正会の総会」『北海タイムス』1920年1月17日。※会場は開陽亭
・「麦酒会社招宴」『北海タイムス』1920年1月11日。※会場は開陽亭
・「雑同新年宴会」『北海タイムス』1920年1月10日。※会場は開陽亭
・「革新派の大会」『北海タイムス』1920年1月10日。※会場は開陽亭
・「謹賀新年 料理店開陽亭」『北海タイムス』1920年1月1日。
・「小樽講演者の招待」『北海タイムス』1919年8月21日。※会場は開陽亭
・「小樽雑同総会」『北海タイムス』1919年1月10日。※会場は開陽亭
・「小樽海同総会」『北海タイムス』1919年1月8日。※会場は開陽亭
・「謹賀新年 料理店開陽亭」『北海タイムス』1919年1月1日。
・「平田氏送別会(三井物産小樽支店長から大阪支店に栄転)」『北海タイムス』1918年8月22日。※会場は開陽亭
・「敷島丸進水式と開陽亭祝宴」『北海タイムス』1918年6月11日。※会場は開陽亭
・「小樽取引所新年会」『北海タイムス』1918年1月7日。※会場は開陽亭
・「組合銀行宴会」『北海タイムス』1918年1月5日。※会場は開陽亭。
・「芸妓腕くらべ」『北海タイムス』1917年5月13日。※開陽亭の記述あり
・「物産仲立総会」『北海タイムス』1917年1月9日。※会場は開陽亭
・「小樽海同総会」『北海タイムス』1917年1月8日。※会場は開陽亭
・「小樽区諸会合」『北海タイムス』1917年1月7日。※会場は開陽亭
・「取引所新年会」『北海タイムス』1917年1月5日。※会場は開陽亭
・「謹賀新年 料理店開陽亭」『北海タイムス』1917年1月1日。
・「内務次官歓迎会(久保田政周)」『北海タイムス』1916年6月14日、17日。※会場は開陽亭
・「通水式後招待(小樽区上水道通水式)」『北海タイムス』1915年8月13日。※会場は開陽亭
・「開業披露 風雅御料理 さゞ波」『北海タイムス』1915年2月1日。※開陽亭の記述あり
・「小樽区長招宴会」『北海タイムス』1915年1月7日。※会場は開陽亭
・「謹賀新年 料理店開陽亭 宮松こう 外一同」『北海タイムス』1915年1月1日。
・「開陽亭の歓迎会(新潟視察団)」『北海タイムス』1914年7月25日。※会場は開陽亭
・「女中及下働女至急入用 小樽山之上町 開陽亭」『北海タイムス』1914年7月3日、4日。
・「女中至急入用 小樽山之上町開陽亭」『北海タイムス』1914年4月11日。
・棟方虎夫『小樽』1914年。※「開陽亭」関連部分(650〜653頁)
・芳川清三郎『花模様 一名 小樽札幌百美人』芳川清三郎、1913年9月。※開陽亭の記述あり
・「小樽の新党遊説」『讀賣新聞』1913年6月10日。※開陽亭で後藤新平の歓迎会開催
・「記者団小樽着(樺太視察の東京記者団)」『北海タイムス』1913年5月23日。※会場は開陽亭
・「開陽亭不起訴」『北海タイムス』1912年2月28日。
・「開陽亭離婚譚」『北海タイムス』1912年2月11日。
・「小樽花柳だより」『北海タイムス』1912年2月6日。※開陽亭の記述あり
・「小樽新年宴会(小樽軍人分会)」『北海タイムス』1912年1月7日。※会場は開陽亭
・「新年宴会(北海道有志医師会大会)」『北海タイムス』1912年1月5日。※会場は開陽亭
・「小樽新年宴会一束(取引所、銀行会、物産商組合、雑穀組合、協和会、海友会、青年会、新潟県人会)」『北海タイムス』1912年1月5日。※会場は開陽亭
・「道会議員小樽視察」『北海タイムス』1911年11月14日。※会場は開陽亭
・「魔の高殿 開陽亭の解剖(全4回)」「開陽亭の科料」『北海タイムス』1911年10月14日、10月15日、10月20日、10月24日。
・「妖魔殿開陽亭」『北海タイムス』1911年10月12日。※宮松コウについて
・「委員の運動着手(医師会)」『北海タイムス』1911年4月29日。※会場は開陽亭
・「忌むへし骨肉の争 小樽の末広見番主 山崎屋一族の解剖」『北海タイムス』1911年1月27日。※開陽亭の経営について
・「首藤日銀理事の招待会」『北海タイムス』1910年9月24日。※会場は開陽亭
・「小樽の浜口長官招待会」『北海タイムス』1910年9月20日。※会場は開陽亭
・「料理人煮方入用 小樽開陽亭」『北海タイムス』1910年7月24日。
・「女中入用 行儀作法心得のあるものに限る 小樽開陽亭」『北海タイムス』19010年7月4日。
・「小樽の三洲人新年宴会(加越能)」『北海タイムス』1910年1月5日。※会場は開陽亭
・「小樽商店新年宴会」『北海タイムス』1910年1月5日。※会場は開陽亭
・「二十銀行頭取招待宴」『北海タイムス』1909年9月26日。※会場は開陽亭
・「韓太子と藤公(小樽)」「伊藤公歓迎会を開陽亭に於て午後六時より開く」『朝日新聞』1909年8月8日。※伊藤博文が開陽亭へ
・「後藤逓相(小樽)」『朝日新聞』1909年8月6日。※後藤新平が開陽亭を訪問
・「奉迎送順序(伊藤博文)」『北海タイムス』1909年8月6日。※伊藤博文が開陽亭に宿泊
・「小樽大臣次官迎宴(大浦農相)」『北海タイムス』1909年6月8日。※会場は開陽亭
・「小樽実業青年会」『北海道新聞』1909年3月16日。※会場は開陽亭
・「小樽の新年宴会彙報(小樽倉庫業組合)」『北海タイムス』1909年1月21日。※会場は開陽亭
・「秋田県人懇親会」「小樽市滋賀県人懇親会」『北海タイムス』1909年1月15日。※会場は開陽亭
・「水産共進会雑俎」『北海タイムス』1908年8月21日、23日。※会場は開陽亭
・「渋沢男爵の演説」『北海タイムス』1908年8月19日。※会場は開陽亭
・「小樽の渋沢男招待会」『北海タイムス』1908年8月16日。※会場は開陽亭
・「会議所連合会と招待宴(渋沢栄一)」『北海タイムス』1908年8月16日。※会場は開陽亭
・「小樽紅筆便り」『北海タイムス」1908年7月16日。※開陽亭の記述あり
・「観山大観両画伯招待会(下村観山、横山大観)」『小樽新聞』1908年7月14日。会場は開陽亭
・「小樽日報の祝宴」『北海タイムス』1908年2月27日。※会場は開陽亭
・「小樽の招待会(港湾問題)」『北海タイムス』1907年9月13日、14日。※会場は魁陽亭
・「原総裁小樽行」『朝日新聞』1907年8月12日。※開陽亭で歓迎会
・「小樽木材増資披露宴」『北海タイムス』1907年7月6日。※会場は開陽亭
・「小樽に於ける東園侍従」『北海タイムス』1907年5月31日。 ※開陽亭の記述あり
・「汽船留萌丸の祝宴」『北海タイムス』1907年3月30日。※会場は開陽亭
・「小樽青年懇親会」『北海タイムス』1907年1月22日。※会場は開陽亭
・「札幌精米と小樽共成」『北海タイムス』1907年1月19日。※会場は開陽亭
・「小樽会議所の新年宴会」「小樽実業青年会」『北海タイムス』1907年1月13日。※会場は開陽亭
・「魁陽亭地所建物売買」『小樽新聞』1906年8月16日。
・「巽畫会展覧会」『小樽新聞』1906年8月14日。※会場は魁陽亭
・「東京巽画会小樽絵画展覧会」『小樽新聞』1906年8月12日。※会場は魁陽亭
・「花街便り 久敷問題の種となり種々の消息を伝へたる魁陽亭」『小樽新聞』1906年8月11日。
・「赤十字記事」『北海道毎日新聞』1904年12月21日。※正社員加盟者として長谷川勝平が記載
・「新旧小樽所長の迎送会(小樽警察署)」『北海タイムス』1903年12月13日。※会場は魁陽亭
・「高野代議士送別会」『北海タイムス』1903年11月14日。※会場は魁陽亭
・「小樽の大阪会協議会」『北海タイムス』1903年9月10日。※会場は魁陽亭
・「小樽のコール博士招待会」『北海タイムス』1903年8月13日。※会場は魁陽亭
・「仲裁者の慰労会(日本郵船小樽支店など)」『北海タイムス』1903年5月12日。※会場は魁陽亭
・「富山県人懇親会」『北海タイムス』1903年2月22日。※会場は魁陽亭
・「井上理事と小樽の招待会(井上角五郎)」『北海タイムス』1902年9月6日。※会場は魁陽亭
・「高橋派の懇親会(高橋直治)」『北海タイムス』1902年8月13日※会場は魁陽亭
・「幕内力士を魁陽亭に招待」『北海タイムス』1902年8月10日。
・「北門新報披露宴会」『北海タイムス』1902年5月13日。※会場は魁陽亭
・「魁陽亭と一印」『小樽新聞』1902年4月12日。
・「小樽天狗連の義太夫会」『小樽新聞』1902年4月10日。※会場は魁陽亭
・「佐々代議士の談話」『北海道毎日新聞』1901年8月30日。※魁陽亭の記述あり。
・「柴氏一行の滞樽」『北海道毎日新聞』1901年7月12日。※会場は魁陽亭
・「小樽の柴加藤氏等招待会」『北海道毎日新聞』1901年7月11日。※会場は魁陽亭
・「小樽軍人共義会」『北海道毎日新聞』1901年3月19日。※会場は魁陽亭
・「小樽政友会員懇親会」『北海タイムス』1911年1月26日。※会場は魁陽亭
・「小樽海陸物産商組合総会」『北海道毎日新聞』1901年1月8日。※会場は魁陽亭
・「小樽の忘年会と新年宴会」『北海道毎日新聞』1900年12月30日。※会場は魁陽亭
・「前田正名氏の演説」『北海道毎日新聞』1900年10月3日。※会場は魁陽亭
・「北海道漁業組合中央連合会」『北海道毎日新聞』1900年9月13日。※会場は魁陽亭
・「小樽に於ける木場文部省官房長」『北海道毎日新聞』1900年7月10日。※会場は魁陽亭
・「小樽に於る各種の催し」『北海道毎日新聞』1900年5月12日。※会場は魁陽亭
・「小樽取引所(小樽米穀株式外五品取引所)」『北海道毎日新聞』1900年2月25日。※会場は魁陽亭
・「小樽小間物商組合会」「小樽の新聞関係業者懇親会」『北海道毎日新聞』1900年1月10日。※会場は魁陽亭
・「魁陽亭代換の宴」『北海道毎日新聞』1899年12月12日。※長谷川勝平から鈴木豊太が譲り受ける
・「小樽の有志大懇親会(区制実施区会議員選挙無事終了議員当選の祝宴を兼ねたる小樽区官民有志大懇親会)」『北海道毎日新聞』1899年12月12日。※会場は魁陽亭
・「公告 魁陽亭旧主 長谷川勝平 新主 鈴木豊太」『小樽新聞』1899年12月8日、9日。
・『小樽新花柳廼噂』、風流家鶴眠著、佐藤五郞発行、1899年11月。※魁陽亭の記述あり(56頁)
・「小樽取引所(小樽米穀株式外五品取引所)」『北海道毎日新聞』1899年10月22日。※会場は魁陽亭
・「小樽新旧支庁長送迎会」『北海道毎日新聞』1899年9月8日。※会場は魁陽亭
・「中村六郎氏と海員掖済会演説」『北海道毎日新聞』1899年8月29日。※会場は魁陽亭
・「小樽委託組合の慰労会」『北海道毎日新聞』1899年8月27日。※会場は魁陽亭
・「小樽の祝賀会光景(小樽に於ける改正条約実施開港祝賀会)」『北海道毎日新聞』1899年8月6日。※会場は魁陽亭
・「小樽の祝賀会(小樽の条約実施開港祝賀会)」『北海道毎日新聞』1899年8月5日。※会場は魁陽亭
・「小樽の祝賀会彙報」『北海道毎日新聞』1899年8月4日。※会場は魁陽亭
・「小樽の星一行招待会」『北海道毎日新聞』1899年7月27日。※会場は魁陽亭
・「埋立問題小樽有志会上京委員」『北海道毎日新聞』1899年7月26日。※会場は魁陽亭
・「指宿小樽警察署長の送別会」『北海道毎日新聞』1899年5月2日。※会場は魁陽亭
・「汽船宗谷丸の入港(藤山要吉氏の新造汽船)」『北海道毎日新聞』1899年3月18日。
・「大久保公証人の宴会」『北海道毎日新聞』1899年2月22日。※会場は魁陽亭
・「津軽人親睦会」『北海道毎日新聞」 1899年1月18日。※会場は魁陽亭
・「小樽の営業税納税者大会」『北海道毎日新聞』1899年1月12日、17日。※会場は魁陽亭
・「小樽取引所(小樽米穀株式外五品取引所)」『北海道毎日新聞』1899年1月7日。※会場は魁陽亭
・「小樽支庁代理事務引継と依願免官」『北海道毎日新聞』1898年12月29日。※会場は魁陽亭
・「慶應義塾同窓会広告」『北海道毎日新聞』1898年8月26日。※会場は魁陽亭
・「山田前会頭の慰労会と謝状」『北海道毎日新聞』1898年7月9日。※会場は魁陽亭
・「北海生命保険会社開業式宴」『北海道毎日新聞』1898年4月12日。※会場は魁陽亭
・「小樽の北海生命保険会社開業式」『北海道毎日新聞』1898年4月7日。※会場は魁陽亭
・「北海道銀行と小樽銀行者」『北海道毎日新聞』1897年12月10日。※会場は魁陽亭
・「小樽奉行会遙拝儀式順序」『北海道毎日新聞』1897年3月10日。※魁陽亭の記述あり
・「小樽商工会議所開所式」『北海道毎日新聞』1897年1月15日。※会場は魁陽亭
・「魁陽亭の開店」『小樽新聞』1896年9月18日。
・「広告 魁陽亭」『小樽新聞』1896年9月15日。
・「魁陽亭の棟上」『小樽新聞』1896年7月18日。
・「火災保険金領収広告」『北海道毎日新聞』1896年6月17日。※長谷川勝平の名前あり
・「魁陽亭主人」『小樽新聞』1896年5月28日。
・「魁陽亭の開業」『小樽新聞』1896年5月27日。
・「魁陽亭長谷川勝平」『小樽新聞』1896年4月29日。※類焼見舞いお礼広告
・「芸者の青田売買」『北海道毎日新聞』1896年2月21日。※会場は魁陽亭
・「広告(小樽凱旋祝賀会)」『北海道毎日新聞』1895年12月10日。※会場は魁陽亭
・「広告(小樽講和奉祝会)」『北海道毎日新聞』1895年5月22日。※会場は魁陽亭
・「広告(陸軍将校のための小樽銭行会の立食の宴)」『北海道毎日新聞』1895年3月30日、4月2日。※会場は魁陽亭
・「日本赤十字社北海道支部ニ於テ予テ計画準備シタル戦時派出病院医派遣」『北海道毎日新聞』1895年2月23日。※会場は魁陽亭
・「新廓の模様」『北海道毎日新聞』1895年1月5日。※会場は魁陽亭
・「新造船入港の祝宴(西谷回漕店元扱の板谷吉左エ門氏所有新造汽船明治丸)」『北海道毎日新聞』1894年11月7日。※会場は魁陽亭
・「新北門社の祝宴」『北海道毎日新聞』1894年2月11日。※会場は魁陽亭
・「在小樽札幌富山県人大懇親会」『北海道毎日新聞』1894年1月13日。※会場は魁陽亭
・「高知県人第三回親睦会」『北海道毎日新聞』1893年1月20日。※会場は魁陽亭
・「山形県人懇親会」「青森県人懇親会」『北海道毎日新聞』1893年1月17日。※会場は魁陽亭
・「青森県人懇親会(木村圓吉ほか)」『北海道毎日新聞』1893年1月13日。※会場は魁陽亭
・「郡役所の新年宴会」「警察署員の新年宴会」「小樽仲買人新年宴会」「会津藩人懇親会」「小樽青年懇親会」『北海道毎日新聞』1893年1月13日。※会場は魁陽亭
・「小樽港招待宴の景況(北垣国道、榎本武揚ほか)」『北海道毎日新聞』1892年11月1日。※会場は魁陽亭
・「北垣長官の小樽行(北垣国道)」『北海道毎日新聞』1892年10月27日。※会場は魁陽亭
・「郡長惣代人を饗応す(小樽外六郡長添田弼氏は小樽港内の各惣代人諸氏を山の上町の魁陽亭へ招待)」『北海道毎日新聞』1891年12月6日。※会場は魁陽亭
・「山口県人懇親会広告」『北海道毎日新聞』1891年9月4日。※会場は魁陽亭
・「小樽の懇親会(板垣退助、河野広中)」『北海道毎日新聞』1891年8月11日。※会場は魁陽亭
・「人夫の宴会(日本郵船会社小樽支店の艀方濱名甚五郎氏が日々使役し居れる人夫百余名)」『北海道毎日新聞』1891年7月21日。※会場は魁陽亭
・「北門新報発刊の祝宴」「北門新報発刊宴席の騒ぎ」『北海道毎日新聞』1891年4月28日。※会場は魁陽亭
・「広告(岩見沢魁陽亭について)」『北海道毎日新聞』1891年4月11日。※小樽の魁陽亭とは別店
・「共親議連の懇親会」『北海道毎日新聞』1891年3月8日。※会場は魁陽亭
・「新年宴会(小樽港の有志者)」『北海道毎日新聞』1891年1月6日。※会場は魁陽亭
・「小樽港の憲法発布紀念会」『北海道毎日新聞』1890年2月13日。※会場は魁陽亭
・「憲法発布紀念会」『北海道毎日新聞』1890年2月9日。※会場は魁陽亭
・「小樽港各社の忘年会」『北海道毎日新聞』1890年1月4日
・「北有社の宴会」『北海道毎日新聞』1889年12月4日。※会場は魁陽亭
・「天長節祝賀会広告」『北海道毎日新聞』1889年10月25日、27日、30日。※会場は魁陽亭
・「寄附金(小樽量徳小学校増築費)」『北海道毎日新聞』1889年9月20日。※魁陽亭経営者の長谷川勝平の記述あり
・「弊家 魁陽亭」『北海道毎日新聞』1889年7月4日。※新築落成
・「魁陽亭の新築落成」『北海道毎日新聞』1889年6月29日。※大広間は64畳敷
・「小樽高島両郡酒造組合」『北海道毎日新聞』1889年6月20日。※会場は魁陽亭
・「小樽高島両郡の酒造家」『北海道毎日新聞』1889年6月8日。※会場は魁陽亭
・「北一の開業式」『北海道毎日新聞』1889年4月9日。※会場は魁陽亭
・「魁陽亭の建築」『北海道毎日新聞』1889年4月5日。※魁陽亭の60畳敷の大座敷について
・「北有社一年期宴会」『北海道毎日新聞』1889年4月3日。※会場は魁陽亭
・「和解の祝宴 近頃小樽港に名高き彼の桟橋喧嘩一件の和解」『北海道毎日新聞』1888年12月20日。※会場は魁陽亭
・「宴会 小樽港の諸会社員並びに重立ちたる商人にて去十一日郵船会社の宴会に招かれたる人々四十余名」『北海道毎日新聞』1888年11月15日。※会場は魁陽亭
・「郵船会社の宴会」『北海道毎日新聞』1888年11月13日。※会場は魁陽亭
・「宮城県人親睦会」『北海道毎日新聞』1888年10月6日。※会場は魁陽亭
・「春木検事長(函館控訴院検事長)」『北海道毎日新聞』1888年9月25日。※会場は魁陽亭
・「送別会(土田臥牛)」『北海道毎日新聞』1888年8月22日。※会場は魁陽亭
・「伊達菊重郎氏」『北海道毎日新聞』1888年8月17日。※会場は魁陽亭
・「土田臥牛氏状況ニ付来ル廿日魁陽亭ニ於テ送別宴会相開キ」『北海道毎日新聞』1888年8月17日。※会場は魁陽亭
・「北海道禁酒会員親睦会」『北海道毎日新聞』1888年8月12日。※会場は魁陽亭
・「美人の転覆」『北海道毎日新聞』1888年8月9日。※魁陽亭の記述あり
・「岩村議官発程」「永山長官着札」『北海道毎日新聞』1888年6月30日。※魁陽亭を訪問
・「第二次遠馬会」『北海道毎日新聞』1888年5月16日。※魁陽亭に投宿
・「小樽の新年宴会」『北海道毎日新聞』1888年1月17日。※会場は魁陽亭